みーなの徒然BLOG

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なんてことない日々。

そういえばあなただーれ?広場恐怖症女の過去と現在

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結構記事をかいてきたのですが、

そういえば私「みーな」について詳しいことをかいてないな〜、と気付きました。

 興味のない方がほとんどでしょうが、

今回の記事は私について少し話そうと思います。

 

 

高校1年生:卵巣嚢腫の手術

 高校に入ってすぐの頃、卵巣嚢腫の手術をしました。

 

卵巣のう腫茎捻転はこんな病気

 

皮様嚢胞腫(ひようのうほうしゅ/奇形腫あるいはデルモイドとも呼ばれています)があり、これはのう腫のなかに髪の毛や脂肪組織、軟骨などの充実成分(堅い中身の詰まったもの)を含みます。

卵巣のう腫が発生した場合には、子宮とつながっている部分でねじれることがあり、これを卵巣のう腫茎捻転と呼んでいます(図2)。一般的には、卵巣のう腫が5~6cm近くになると茎捻転を起こす危険性があると言われていますが、これ以下の大きさや、逆に10cm近くになった大きい卵巣のう腫でもねじれることはあります。茎捻転を起こした場合の主な症状は、お腹の痛み(下腹痛)です。ねじれかけても元に戻ることもあると言われ、その場合には痛みはいったん治まりますが、完全にねじれてしまうと、卵巣に血液が届かなくなり、壊死(組織が腐ってくる)を起こします。激痛となって救急車で運ばれてくる場合も少なくありません。

卵巣のう腫茎捻転 (らんそうのうしゅけいねんてん) 病名から探す| 社会福祉法人 恩賜財団 済生会

私がなった奇形腫はブラックジャックのピノコのモデルにもなった病気です。

 

手術後の体調は良い方だったのですが、退院後で体力がなく、学校の途中で帰るのがたびたびだったこと。

2年生に上がってからも、サボリ癖があったのとで高校は卒業日数ギリギリでした。結構計算して休むタイプだったので無事卒業させてもらえました。

 

 大学に入って1か月:2度目の卵巣嚢腫の手術

大学に入ってすぐ、また卵巣嚢腫になり手術を行いました。

また入ってすぐかよ!

ちょっと精神的にきました。

 

この時なにが悪かったのか手術後の麻酔の抜けが悪く、酸素マスクがなかなか取ることができませんでした。尿のチューブも抜こうにも起き上がるだけで何度も吐き、別の日に抜くことになりました。入院中も頭がぼーっとすることが多かったです。

 

この後から常に頭痛がある状態になってしまいました。

常にというのは痛みに波があるという状態です。痛み0のときはありませんでした。

MAXに痛い時は起き上がることもできず、どの痛み止めも効きませんでした。

 

大学の友だちもお見舞いにも来てくれました。大学の話をしてくれたり、よくLINEもしてくれました。

 

でもその頃の私には辛かったんです。お風呂を誰かに手伝ってもらって軽く化粧して、待合ルームに行って。

友だちと会う間も頭痛と吐き気がするので、その間吐き気止めと気休めの頭痛薬をもらって、さも楽しそうに喋っていました。

 

でもその夜は、病室のベッドで私は泣いていました。

みんなが楽しそうな大学生活を送っている中でなんで私はそうじゃないんだろう、と。

 

この間に大学時代の友人との連絡を絶ちました。

twitterのリアルアカウントやLINEを見るのをやめました。

 

入院中にも頭痛科の先生にきてもらったりしていたのですが、頭痛は治らず。紹介状を書いてもらい、退院後に大学病院に行くことになりました。

 

退院・自宅療養後、大学に通う

 

 

退院と自宅療養後、私は大学に復帰することになりました。

ですがそのときにはもう電車に乗れなくなってしまっていたのです。

原因としては、卵巣嚢腫の捻転のときの痛みが大学帰りの電車でよく起き、

そのときのフラッシュバックではないかと今は思っています。

 

電車に乗ると目の前から色がなくなって頭痛と吐きそうになってしまう(実際には吐かない)ことが起こるようになりました。

途中の駅で降りて駅員さんに手伝ってもらいながら救護室で休ませてもらいました。

そのあと、ラッシュ時を過ぎたとはいえ電車に乗ることができず、タクシーで家まで帰りました。

 

次の日からは父が会社に行く前に高速に乗って大学まで送ってくれるようになりました。

だいぶ早い時間だったので大学の近くに下宿している子の部屋に時間になるまでいさせてもらってました。

 

それでも講義が1つ終わるぐらいでしんどくなってしまい、大学の医務室に行っていました。帰りも帰れず、夜までまって父に迎えに来てもらっていました。これが2週間ほど続きました。

 

このときに私のメンタルは限界を迎えており、大学は休学するという結論を出しました。

 

そこからは毎日続く頭痛の治療の開始でした。

大学病院でもいろんな薬を試しましたが何も効かず、

髄液の検査も受けたのですが何も出ず、逆にその後の動けなくなるほどの頭痛が辛かったです。

 

大学病院でもわからないということで、頭痛専門の有名な先生のいる病院に紹介状を書いていただき、その病院にかかることとなりました。

 

そこの病院でも何度か通い、病名も(なんだか覚えられない英語で言ってた)わかり、それに合うとんぷくも作ってくださりました。

飲むと頭が抑えられるので、どうしようもないときに使うと動けるくらいになりました。

この病院の先生には感謝しきれません。

 

そしてこの先生は心療内科の紹介状も書いてくださいました。多いときで2時間待ちの人気の心療内科です。

この心療内科さんには今もお世話になっています。

 

これは最近わかったんですが(別に病名とかは聞いていなかったので)、私は広場恐怖症というものになっていました。

 

広場恐怖症とは

広場恐怖症(ひろばきょうふしょう、:Agoraphobia)とは、ほぼ毎回恐怖不安を誘発するため、公共交通機関や、あるいは広い場所や閉ざされた場所を避けていることが6か月以上持続している、不安障害に含まれる精神障害である[1]。典型的な広場恐怖症は、繰り返されたパニック発作の結果としての合併症である

広場恐怖症 - Wikipedia

 

結構長いこと通っていて、

 

みーなさん結構長いこと通ってるけどなかなかよくならないねえ

そうですよね~そろそろお金もきびしくて・・・

 

という会話から自立支援制度の診断書を出してあげるよ、といわれ自分の病名を知ったのです。

 

ネットで調べてみると「たしかに〜」というような症状ばかりで納得してしまいました。

 

私の場合広場恐怖症になにか他も混ざっているような感じもしますが、今の薬がちょっといい感じでして、ジョギングをはじめたり、植物を買いに行ったり(車を出してもらって)、ブログをはじめてみたり・・・

 

まだまだふつうの生活に戻るには時間がかかるだろうな、と思いつつ今が一番いい状態なのでこれから少しずつでも進んでいきたいと思っております。

 

心療内科にかかっている間にも3度目の卵巣嚢腫の手術

 

心療内科にかかっている間にも1度卵巣嚢腫で手術をしました。

 

できれば取るしかないし、取れば大丈夫。再発率15%ぐらいだったか・・・。9割は陰性腫瘍だったかな。

そうなのはわかってるんですけど、16~21歳の間に3度の手術。

 

なんか精神的にくるというか、「しんどいのは私だけじゃない!」なんて言い聞かせなくても分かってるんですが、そういう問題でもないというか・・・

 

3回目の手術後はスッキリしてましたし、ここまでくるとあまり落ち込むこともなかったです。

けど3度目は友だちには知らせず面会は親のみにしてもらいました。

 

その後の過ごし方

 

常に続く頭痛はいつの間にか治っていました。

今は時々痛くなるくらいです。

 

友人関係

 

2回目の退院後にもに友だち達から遊ぼうというLINEを何度ももらったし、何度かは遊びに行きました。

でも、近場でも人が多いと気分が悪くなって帰れなくなるし、電車に乗れないから行動範囲も狭まるので、ほとんど断っていました。

 

3度目の手術後も誘ってくれて・・・でも、

だんだんせっかく誘ってくれてるのに身体が無理だからと断るのが心苦しく感じてきて仲の良い友だちのLINEも開くのをやめました。

 

現在ではLINEは母とのやりとりとお店のクーポンのために使っています。

 

普段の過ごし方

 

大学も行けないので退学し、歩いて行ける場所でバイトをはじめても少ししたら体が持たず半年ほどでやめました。

 

それからは午後に起きてソファーに座ってパソコンで動画みて、両親が帰ってきたらご飯を食べて寝る。そんな不摂生な生活を送っていました。

 

グータラせんとなんかしなさいよ

うーん、わかってるって~(んなこといってもどうすりゃいいねん)

 

良い方向に

 

転機がきたのはついこのあいだ。

 

長年飼っていた大好きなペットのハリネズミが永眠したのです。病気に苦しんだ期間をずっと支えてくれていました。

 

ひとりで行けないので、ボロボロの格好のままおじさんに連れて行ってもらい葬儀をして、すこしすっきりしてかえってきました。

アールという子なのですが、ものすごく気持ちよさそうに眠ったまま空に行きました。

 

1ヶ月ほどしてそろそろアールのいなくなった私の部屋を片付けよう!と思い立ちました。

まずはアールのゲージを部屋から出しました。次に大きな勉強机。もう学生生活に未練なんてないんだから片付けよう、と小学生になる前の親戚の子にあげることにしました。

 

クローゼットの中ももう着ない服ばっかりだ、とゴミに出し。

 

新しい環境を作ろうと思いました。

 

部屋の空いたところに小さなパソコンデスクが欲しい→組み立て式のを買おう!

アールのゲージが置いてあったところにローテーブルを置こう→欲しい機能があるものがないからDIYしよう!

ちょっとすっきりしてきたし観葉植物でも置いたらいい感じかも→ガジュマル、多肉植物、苔玉にハマる

 

そうしているうちに、「ジョギングでもしてみよう」と急に思い立ったのです。

ここら辺は最近のことですね。

 

外に出て働けないならWEBライターをしてみよう。

父の運転する車に乗って植物やランニングウェアを見に行くぐらいならできるかも

三日坊主の飽き性だからブログでも作って継続できるようにしよう。

 

このようなできごとがあって、この「みーなの徒然BLOG」は始まりました。

 

まだふつうの人に比べればなんの1歩も進めていないですが、

私にとっては2歩も3歩前進できています。

歩幅はちがっても確実に進んでいます。褒めてくれとはいいませんが、自分なりに頑張っています。

 

最後に

 

こんな私の話を最後まで見てくださった方

本当にありがとうございます。

とっても優しい人ですね。

 

これから先また症状が悪化するかもしれない。

また卵巣嚢腫になるかもしれない。

そんな恐怖にさいなまれるときもあります。

 

でも、それ以上によくなるかもしれない!

と思いこのブログを書いています。

 

これからもためになるのか、ならないのか・・・

みーなの徒然BLOGを続けていきますので、よろしくお願いします!

 

 

それでは今回はここまで!